パンダをだっこしてきた
李(こにし)拡建
 中国四川省の臥龍パンダ研究センターに行ってきましたので、報告します。
パンダ基地を訪問
(1)背景

 去年、TVで有名な朱建栄氏が家族を連れて、四川省の臥龍に居るパンダ(中国語では大熊猫、略して熊猫と言う)を見て来た。日本でパンダを保護する為のツアーでも組織しようと考えた。この活動を支援している顔安氏より協力要請があったため、現地調査に同行してきた。

(1)日程:9日8泊、2002年1月

12日(土、北京泊)東京→北京(UA853 18:50-21:50)
13日(日、北京泊)自宅で私用
14日(月、北京泊)他用
15日(火、臥龍泊)北京→成都(SZ4104,16:30)、成都→臥龍(〜24:30)
16日(水、臥龍泊)臥龍センタ、合作備忘録の作成(〜24:30)
17日(木、太原泊)成都→西安(2Z408,16:50)→太原(8C890,20:10)
18日(金、太原泊)自宅で私用
19日(土、北京泊)自宅で私用、太原→北京(8C801,20:15)
20日(日)北京→東京(UA852 9:40-14:00)

(1)大水冲了龍王廟

 北京で訪ねた誠成企業集団公司の李杰副総裁から、 1996年、氏が興発集団副総裁であった頃、 李恩義氏と一緒に、 四川で臥龍パンダ倶楽部という社団法人を創立し、初代法人代表に務めたという。 この意外な事が分かり、に們撞到我的槍口上来了って、大笑いであった。 氏が5万元でパンダ2頭の里親になった。 1頭は南充師範大学胡錦矗教授を記念するため「錦竹」と命名し、 もう1頭は臥龍の老研究員を記念すると考えたが、都合で[巾国]々となった。 錦竹も[巾国]々も香港(?)に居ると聞いた。 臥龍の話しでは皆が日本に居るそうである。 日本に帰国後分かったが、錦竹は神戸の王子動物園に居る「興興(コウコウ)くん、1996年8月12日生まれ」である。

(1)臥龍まで

 飛行機で成都に着いたのは既に夜であった。同行した斉氏が成都の出身で、日本に来る前は外事部門に勤めていた。氏が遠い親戚の黄氏を頼んで、乗用車で臥龍まで案内して貰うことになっていた。朝には霧が濃いため、車も霧も少ない夜で行くことにした。それにしても、ほとんどの道で濃い霧があり、5M先も見えない程。のちに雨もあった。雨の滴が濡れない位すごく細かかった。闇の中、私が寝てしまったが、運転手が大変だったであろう。

 臥龍に着いたのは24時半であった。センターの張貴権主任助理が待っていた。すぐホテルに案内して下さり、寝ることにした。

(1)熊猫山荘というホテルと熊猫餐廰という食堂
臥龍ホテル
 熊猫山荘という名前のホテルは肌色の3階建物である。入口には売店(厳密に言えば売櫃)がある。私が泊まったのは213号室で、ビジネスホテル並みのツインベッドの部屋。部屋には小さい空調機があったが、あまり役に立たなかった。ベッドには電気毛布が引かれていたが、慣れない私が寝てから電源を切った。浴槽もあり、お湯もあったが、風邪を引く事を畏れて、お風呂には遠慮した。南方では暖房設備が無いことで、北方で育った私のような南方人には辛かった。

 熊猫餐廰という食堂は奥にある建物である。野菜は主に山の下から購入してくるが、山で取れた山菜もあった。食事は美味しかった。

(1)機構は2重である

 中国には「一套班子,両塊牌子」がよくある。臥龍も同じである。1つは国家林業局が管轄している中国パンダ保護研究センター(中国語名:中国保護大熊猫研究中心)であり、もう1つは中国科学研究院が管轄している中国林業科学研究院パンダ研究センター(中国語名:中国林業科学研究院大熊猫研究中心)である。

 臥龍大熊猫倶楽部はセンターが管轄している公益社団法人である。

(1)大熊猫宛というパンダ研究園を参観する

 翌日の朝、食事後、李偉研究員の案内で、まずパンダを見ることにした。センターに入ると、小さい広場を越え、正面には「大熊猫宛」というパンダを研究している建物群がある。普段、観光客には開放している。入場券は10(?)元である。入り口に記念碑(木製)があり、パンダの里親の氏名リストが公表されている。(2002年5月20日注:臥龍センタの了解の元、感謝の気持ちを含めて、私が撮った写真を見ながら一字一字で入力し、ここに里親一覧表を掲載していた。しかし、 Monday, May 20, 2002 10:26 AMに、「名前の掲載について」の題名で、 「パンダの里親になっています、*****と申します。 突然のメールで失礼します。 下記ページに私の名前が無断で掲載されています。 即刻削除願います。 取り急ぎ、用件のみで失礼します。」というメールがあったため、 里親氏名一覧表を削除した。 好心当了驢肝肺&不知好歹につき、誠に残念である。)

 露天にいるパンダ、建物の中に寝ているパンダ、そのなか黒柳徹子氏が認養した豆豆も、皆が元気である。パンダは群れで行動する動物ではなく、普段は単独で行動するそうである。しかしながら、センターでは建物が足りなく、1部屋にパンダを2頭ずつ研究している。全てのパンダに個室を与えるように何とかしてあげたいものである。

李拡建がパンダをだっこしている(1)パンダの赤ちゃんをだっこする

 パンダの赤ちゃんを育つための部屋があり、普段外から大きいガラスの中のを見るだけである。私達のために、特別に大熊猫#21が2001年9月28日に出産した第二仔で、出生後111日目のパンダの赤ちゃんを飼育している部屋に入らせてくれた。入り口の外と中、靴の底を2回消毒され、入口の中、手を消毒液で洗った。約4ヵ月位の小さいパンダが柵で囲んでいる約6m2のスペースの中に置かれている。中には竹製の椅子がある。パンダが遊ぶボールもある。だっこしても良いと言われ、だっこしてみた。どうしようもない位、かわいかった。足の腕には白い毛があるのはこのパンダ赤ちゃんの特徴である。2回目だっこした時、パンダが私のマフラーにすごく興味を示し、一生懸命ひっぱったり、かんだりされた。

李拡建がパンダをだっこしている(1)小パンダと遊ぶ

 その後、約1歳のパンダ2頭とずいぶん遊んだ。1歳になると、けっこう大きくなる。体を触ったり、真っ赤の人参を与えたり、キスしたり、一緒に写真を撮ったりした。しかし、耳は触られたくないようである。

(1)研究員の苦悩

 1つはパンダに噛まれる事。パンダ同士は良く噛んだり噛まれたり遊ぶ。パンダが皮膚も厚く毛も長いため、どうったことがない。しかし、人間が違う。皮膚も薄く毛も無いため、噛まれたら国宝のパンダに還手するが犯罪になるため、じっと我慢する以外にはどうしようもない。研究員の皆さんの腕を見せてもらったが、本当に傷だらけである。ある人の手の虎口(親指と人差し指の間)には穴までできてしまったこともある。

 もう1つは研究員の奥さんになりたい人が少ない事。研究員達は、皆がけっこうかっこいい男ばかりだが、山の奥であるため、奥さんの生活が豊かだと言えないかもしれない。毎日パンダを見たい日本人女性の方へ、ぜひ研究員の奥さんになってくださいね。

(1)李偉氏について

 「大熊猫宛」を案内して下さった李偉氏はある四川の短大に卒業し、センターに就職した後、家に帰ったことが無い、毎日、パンダと一緒に居るのは非常に楽しいそうである。氏がパンダを話すと、目の中からいつも光が輝いていた。

(1)合作協議とデータ実験

 午後2時半より、3階の会議室で日中双方が友好の雰囲気の中に会談を行った。中国側は王鵬彦副局長、張貴権主任助理、李偉研究員、日本側は斉氏と私であった。まず、成都に来る飛行機の中で書いたメモを叩きたいにして、日方が基本的な考えを述べた。これに対して、 中方も意見を述べた。お互いの今後の進め方などについて議論され、「合意書」のような書類にまとめ、サインすることにした。夕食は管理局の張和民局長と奥様、王鵬彦副局長、張貴権主任助理、呉利峰業務主管、李偉研究員と一緒にした。食事の後、「合作備忘録」を引き続き推敲することにした。深夜の24時半まで続いた。夜のパンダを見ることができなかった。

 翌日朝、朝食の注文が誰もしていなかったため、朝食は湯面だけであった。食事の後も、「合作備忘録」の直しがずいぶんと続けた。約10時半頃、お互い少しずつ譲歩し、合意に達し、サインした。

 同時に、私がセンターにある計算機環境を用いて、サーバーにアップロードする実験も行った。約30分で1,812,984バイトのデータをアップした。毎日約10秒のビデオデータ(約1MB)を転送できることが分かった。

(1)臥龍を離れる

 あの日の11時より水電部の数十名の專門家や労働模範がセンターを視察する予定であった。本当はもっと長く居たかった、もう1回パンダをだっこしたかったが、センターの皆が来客のために忙しいので、私たちにつき合う暇が無いと言われた。そのため、11時になろうという頃、関係者と挨拶し、センターから離れた。出発したまもなく、前後に警察車が2台ずつあり10数台のワゴン車隊に遭遇し、スピーカから「止まれ」と言われ、通過まで路肩で待っていた。その後、直接、成都空港に向かった。成都の道が亀の形になっているため、亀城とも呼ぶ。しかし、第5の輪の外環路も、第4の輪の三環路も通じないため、込んでいる二環路まで行かないと空港に行けなかった。はやくも亀の紋を虚線から実線になってほしい者である。

(1)皮条河の水と箭竹

 センターの真ん中に皮条河が通っている。熊猫餐廰も河の側にあった。反対側には無名の滝がある。けっこう大きな音がする。河の水が透明で、すごくきれいである。河の両辺には箭竹が叢生している。パンダの食べ物も飲み物も揃えているため、パンダの基地になった訳。

 都江堰市(もと灌県)から臥龍までの道はこの河に沿って作っている。行きは闇の中であったが、帰りは河両岸の風景を満喫した。

(1)通信事情

 携帯電話は途中の小さい町では通じたが、ほとんどの道では通じなかった。もちろん臥龍では問題なく通じる。

 熊猫山荘の部屋に電話があるが、外には通じない。もちろん、この電話を使ってインターネットにアクセスするのは無理である。長距離電話は服務員に頼んで、1階にあるカウンターで掛けられる。

 センターの簡単な中国語のホームページが既に開設している。無料のサーバーサービスが利用されている。URLは pandaclub.yeah.net であるが、アクセスすると自動的に http://go3.163.com/pandaclub/ に飛ぶ事になっている。

 研究棟には既にLANが構築されている。56Kモデム共有で皆がインターネットにアクセスしている。また、光ファイバーを敷設してあり、近い内に開通する予定である。

 現行システムにはセキュリティ対策がほぼ無く、私がマシンを使っている間にも、外から数回のアタックもあった。専用線が開通するなら、しっかりした対策が必要だろう。

 インターネットのアクセスもすごく簡単になった。例えば、北京ではアクセスポイント電話番号も、ユーザ名も、パスワードも169に設定すれば良い。263もOKである。ちなみに、泊まった華僑大厦では「9,」を電話の前に入れれば良い。「9」は外線へのアクセスコード、「,」はポーズに使う。

(1)臥龍が中国第1号の特別行政区で、香港が第2号

 臥龍が中国第1号の特別行政区として、名称は「臥龍自然保護区」である。国家林業局に属している。管理局が置かれている。従って、香港が第2号となっているが、まったく知られていない。

(1)棗(なつめ)の話し

 成都に行く前、北京空港国内線の売店で大好きな酒棗を見つけた。山西産の「壺瓶棗」で作ったものである。ビニール袋装と壺装の2種類があった。私も東京にいる家内も山西育ちで、棗が大好きなため、壺装のを買いたかった。さすが棗の壺を持って北京→成都→太原→北京→東京には辛いだろうと思い、壺装のを断念して、ビニール袋装の酒棗を買った。

 酒棗は酔棗とも呼ぶ。新鮮な熟された硬い棗を酒に少し漬け、褝瓶に密封して発酵させる方法で、独特な美味しいモノになる。雪の季節になると、褝瓶を開封して、中に雪を入れてから、再び密封する。これで少し萎縮した棗が再び豊満になり、水ぽっくなり、美味しくなる。

 北京の空港で「緑棗」という南方産の珍しい棗も売っていた。普通の棗よりすごく大きく、胡桃位ある。普通の棗が赤くなる前の緑棗ではない。私が見たことも無い。1つ食べてみたが、美味しかった。梨の味がしたので、梨と棗を嫁接させたものではないかと思ったが、売店の人が違うと言った。中には硬い核があるので、やはり棗だ。

 北京空港で買った棗は、太原の家で皆が美味しいと言って、全部食べてしまった。

 太原の空港でまた酒棗を見つけた。私が小さい頃居た楡次の聶村で作られたもの。包装はビニール袋であるが、何と「蕃茄醤」(トマトケチャップ)と印字されている!1袋を買って、食べてみた。大きさがそろえていないが、味はなかなか美味しかった。袋に拘っても仕方がないから、中身が良ければ良いので、半箱も買っちゃって、日本に持ってきた。

 今(1/23 0:30)は酒棗を晩酌しながらキーボートを打っている。

 ちなみに、棗は果物の一種である。中国には良くあるが、日本にはすごく少ないようである。園芸の方に聞いたことがあり、大木になるから始末しにくいので、あまり植えていないそうだ。また、日本には食物が豊富なため、果樹にある果物が熟したまま落ちるまで、周りの日本人が食べないようである。棗の実も同じである。周りの人がいつも落ちている棗に困っていた。私が秋になるといつも取りに行く際、樹木整理のボランティアだ思われ、感謝されていた。

 私が来日17年間、日本で見た棗の木は4本有る。名古屋の友人の友人の家に1本。十数年住んでいた大宮市(現さいたま市)の社宅の近くの公園に1本ある。清水公園に行った際、棗の木が見かけたことがある。また、静岡の友人宅付近の公園に1本ある。今、東京にある棗の木を探しているので、ご存じの方、ぜひ私にメールでご一報頂ければありがたいでござる。

(1)「皇帝之宝」健喉宝含片

 北京で泊まった「華僑大厦」の客室に、「皇帝之宝」という健喉宝含片が木台の上に2箱置かれ、「サービス品ではなく、1箱18元」と書かれている。鉄のケースに「全てが天然配料で、防腐剤や着色剤が一切無い。随時に口含できる。咽喉不適、口気重い、煙酒過量、発声困難の方や、教師、歌手、社交人士に愛用されている。」と印字されている。

 一箱を開封してみた。中に4シートがあり、1シートには8枚がある。一枚を口に入れ、なめてみた。良い味とは言えないが、喉には気持ちがよかった。

 実に言うと、自分が一昨年(2000年)の7月から、喉が既に1年半以上、おかしくなっている。咳があまりないが、痰がある。始めは風邪だと思ったが、なかなか治られない。内科で胸部X線写真も耳鼻科で頭部X線写真も撮ったが、どこにもおかしくない。痰にも悪い菌がない。耳鼻科の先生が「痰ではなく、分泌物だ」と言い出した。しかし、「どうして、上も下も無く、咽喉の処だけ分泌しないといけないの?」と聞いたら、「分からない」って。

 北京にいる3ヶ日に、時々「皇帝之宝」をなめたことで、今までおかしくなっている喉がすごく良くなったと感じる。本当に意外な収穫である。

(1)「皇帝之宝」も偽物(?)がある

 15日、北京から成都に行く前に、「華僑大厦」の精算カウンターで「皇帝之宝」を更に8箱を追加注文し、10箱を買った。成都で一箱を開封し、試してみたが、味がぜんぜん違う。今までのモノと比べると、色も違い、シートにカビがあるのをはっきり見える。「どうせい北京に離れるから、わざわざ悪い物を売ってやる」と考えたくないが、気持ちが非常に悪い。

 19日、北京の「華僑大厦」に戻り、大堂経理に味が違う2箱の「皇帝之宝」を見せた。大堂経理が「明らかに違う。確かにおかしい。申し訳ない。関係者に聞き、原因を究明し、再発を防止する。」と謝ってくれた。時間があまりないが、他の7箱も全部開封して見たかった。注文した8箱も返品した。

(1)喉の原因は「シックハウス症候群」では?

 しかしながら、東京に戻り、家で1晩寝たら、再び痰が出てきた。なぜだろう?

 考えてみれば、自分が2000年の3月10日に東京の新築マンションを購入し、4月5日に引っ越しした。去年の社内技術フォーラムに建築本部より「室内空気汚染の現状と有害物質含有建材」という発表があり、私の喉がおかしいのは、新築のマンションに含まれる化学物質のせいではないかと考えた。今回の旅では、私も「シックハウス症候群」であることがほぼ確信した。しかし、どうすればいいか、まったく分からない。

2002年1月於日本東京
版権所有・無断転載厳禁